あたりまえの、魔法 1

おはなし。短編。 ※あたりまえの、魔法2(エッセイなど)はこちら→http://junmusic2.hatenadiary.jp

相棒とのお別れ Triton Le  L.U.S.T.のライブのあとのちょっとつらい思い出

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ぼくはキーボーディストとしてはとても機材(キーボード)を買わない方だったのではと思う。少なくとも今までは。
特にこの10年か15年くらいはほとんど3台のメインのキーボードで仕事を回して来た。

その3台が、ほぼ時を同じくして、最近お亡くなりに(?)なった。

というか、お亡くなりになった、と判断せざるをえなくなった。

 

ずいぶん前から、調子が悪く、何度も修理に出したり、自分でネジをはずして中を空けて調整したり、いろいろしてたが、もういろんなところがガタがきて、もう無理かなぁ、と思いつつ、愛着もあるため、捨てるに捨てられず、ずっと家にただ置いてあったが、そろそろお分かれしようと決心した。


というか決心するために、この文章を書く事にした。
お葬式で読むお別れの言葉のようなものだ。

 3人も相棒が亡くなったので、順番に。

今日はまずは、Triton Leさんについて。 

 

いままで会った多くのキーボーディストの人は、まず大体車を持っている。キーボードを運ぶために。そして、車になにかあったときのための替えの(同じ機種の)キーボードを積んでいる人さえいた。
また、多くのキーボーディストの人は研究のために、もしくは、趣味で、いろいろ新しいキーボードをとっかえひっかえ試したりする。

  ぼくは、どっちもうらやましかったが、まず免許がないのと、お金がないのとで、「軽いキーボード」を長く使う、というのがキーボードを選ぶときに求められる必須条件だった。

つまり「軽くて使い回せて丈夫」というのが選ぶ第一条件。
ふつうは第一に音質や音色の好みや機能で選ぶのだが、ぼくの場合はそれももちろんあるけれど、それだけでなく、「機動性」が最重要だった。 

 

80年代以降のレゲエのピアノの裏打ちにはかかせない(と僕が思っていた)KORGのM1というキーボードの音がほしくて、それと同じ音が入っていて、それでも持てるキーボード、、と探して買ったのがこのTriton Le(トライトン・エルイー)だった。
M1自体の方がピアノの音としてはずっと重たさがあってよかったのだが、そこはがまんした。音が重いだけでなく、M1はキーボード自体もものすごく重かったからだ。とても2台は持てない。

でも、ジャマイカのキーボーディストを見て自分がどこが一番好きだったかというと、「チープな音のキーボードでもかっこよく弾いてしまう」のりのよさ、だったから、「多少、廉価版のキーボードでもよいのだ」と自分を納得させていた。
だんだんそれは、納得するだけでなく、なんとなく自分のへんなプライドというかスタイルになっていった。「安っぽいキーボードでもかっこよく弾こう!」と常に思うようになった。

Triton LE というのは、Triton(トライトン)というこれまた有名な(M1よりは時代はずっと新しい)キーボードの、いわば廉価版、ファミリー版(?)みたいなもので、Triton自体よりは軽くて安くて音数も少し少ない。

たばこで言うところの、キャスターマイルドとか、コーラでいうところの、ペプシ・ライトとか(そんなのあったけかな)、そんなようなものだ。

 だから、これを使い始めたころは、「なんでLeなんですか?」とか聞かれたりすることがあった。

たとえば、たまに大きいツアーがあって、好きなキーボードを現地レンタルできるなんてときにも、自分の持ってる使い慣れたものと同じものがよいから、楽器担当の人に「なにを用意しますか?」と聞かれて、「Triton Le 2台でお願いします」なんていうと、「え?Tritonじゃなくて、Leですか?あんまり使う人がいないのでこちらには、ないのですが、、」とか言われたりした。

あれは、廉価版でステージで使うものではないですから、、とはっきり言われたこともある。

でも、「他の人にとってチープなキーボードと見られてても、慣れてるものを使うのが自分のスタイル」ということには、勝手にプライドを持っていた(というかそう決めないとどうにもならなかった 笑)ので、「いや、絶対Triton Leでお願いします」と突っぱねて、楽器担当の人がこまったあげく、Leをその機材レンタル会社の新しい機材として買ってくれたことすらあった。

 

 実際のところ、廉価版のためかちょっと音が軽いなぁ、という音色もあったりした。そういう場合は、プログラムをいじってちょっと重さを加えたり、いろいろ工夫をしないと納得できない場合もあったがそうやって作ったいろんなパッチ(音のセットみたいなもの)がたまっていくのが楽しかった。

 

いろんな思い出がある。

そのころ僕は大体普段は、ぼくは東京に住んでるアフリカ人やジャマイカ人の人たちのバンドで飲み屋さんや、パーティーなどで演奏するのがメインの仕事で、たまにジャマイカから来たアーティストのバックをやらせてもらったりしていたが、はじめてMINMIという日本人レゲエアーティストのバックで、仕事をさせてもらったときのこと。

基本レゲエは(というか「僕が考える」レゲエは)、「自分の手で弾けないものは弾かない」というのもひとつのプライドというかポリシーのひとつと思っていたが、MINMIの曲でどうしてもこれは2本の腕では弾けない、という曲があった。
そのときまではぼくは知らなかったが、日本のポップス業界の場合はそういう場合はどうするかというと

①もうひとりキーボーディストを入れる

シーケンサー(コンピューター)を使う

のどちらかにしましょうってことになることが多いのだ。①は予算とかの問題があってその曲のためにもうひとり人員を増やすというのはなかなか難しい場合が多いので、②にしないか、という話になることが多い。(ということをぼくはそのときに始めて知ったのだ)。

 コンピューターで作ったオケを流してそれに合わせて弾くというのはその後もなんどか日本のレゲエの現場で頼まれた事がある(これを「同期」と呼ぶ)が、ぼくは基本的にあまり好きでなかった。
「同期」と「あてぶり」はやらない、というのがポリシーだった。(その後結局やってみたことがあるけど 笑)あてぶり、というのは実際は弾いてないけど、映像のために弾いてるふりをすることだ。
同期はできないことはないけれど、あまり楽しくはないし、やっぱりLive & Direct というレゲエの大事なキーワードの一つである言葉が表している、直訳すれば「生(なま)で直接!」という精神がぼくは好きだったし、そのときにもなんとかひとりで弾いてやろうと思った。

で、どうしたかというと、右手の親指でストリングスの音を弾きながら、他の指で、エレピの音を弾く、しかもエレピの音も一つの鍵盤を弾いたら和音が出るようにプロミラミングしておく、そして左手でピアノを弾く、というようなことをして解決した。

MINMIの仕事をきっかけに、しばらくそういう、「ひとりでどこまでたくさんの音を弾けるか」みたいなことをやってみていたが、(つまり打ち込みで作られた曲は重ねてある音色の数がすごく多いのだ)あるときふと、これはあれに似ている!と思った。

それはなにかというと染之助染太郎?だっけ。あの、お正月に出てくる、傘の上で升を回してごらんいれます〜みたいな芸人さん。なんかああいう、職人的な気持ちになってくる。やったーできました!みたいな(笑)そういう気持ちよさがあった。

でもキーボーディストの場合、ちょっとせつないのは、一回MINMIのライブが終わって見にいてくれていたポチくんというキーボーディストの友達に感想を聞いたとき、「あの曲は、同期つかってたでしょ?ひとりじゃ弾けないもんね」とさらっと言われた。ガーン!ひとりで弾いてたのに!と思うと同時に、「そうだよな、独りで無理して弾けたところでそれがなんなんだろう?」と考えさせられた。

 

 そしてその後、またあるとき、それに関してほんとうにショックなことがあった。ショックというか、とても胸にズガーンときたことなのだが。

 

L.U.S.T.というジャマイカのアーティスト(ルーキーD、スリーラーU、シンギングメロディー、トニー・カーティスの4人組)の日本ツアーのバックをしたときのこと。
ぼくは張り切ってたくさんの音をプログラミングして、本番もいっしょうけんめい弾いたのだが、そのライブが終わったあとのこと。
ぼくが「ふーっ、終わった、、」と思って椅子に座ったのもつかのま、あるお客さんが、たぶん日本在住のジャマイカ人の人だったのだと思う、がぼくの前に来て座った。しゃれたメガネをかけていた。友達と二人だったと思う。彼は、グラスに入ったお酒をゆっくり飲みながら、しばらくしてから、かなり上手な日本語でゆっくりとぼくに話しだした。

「きょうのライブどうだった?」

急にお客さんの方から聞かれて、ぼくはすぐ答えられずに、ちょっと間が空いた。そして、「楽しかった」というようなことをたぶん言ったのじゃないかと思う。

そしたら、彼は続けて、

「ジャマイカ行ったことある?」とぼくに聞いた。

「いや、ない」とぼくが言うと、彼は、

「ジャマイカのライブはほんとうにすごい。たぶんあなたは知らない」と言ったあとで、ゆっくりと

「悪いけれど、今日のライブは、」と言って、手のひらを下に向けて、「so,so」と言った。
言葉は「まぁまぁ」という意味だが、しぐさは、あきらかに「ぜんぜんよくなかった」という意味だった。
ぼくはギクっとした。

そして、「あなたは、たくさんの音をキーボードで弾いた」と彼は言った。

「ギターの音をキーボードで弾く。ブラスの音をキーボードで弾く。あなたたくさんの音キーボードで弾いた。でもオルガンだけでもいい音楽できる。」

「わかる?」と彼は言ってぼくの目を見た。そして、

「とにかく、今日のライブはSo,So。ごめんね。じゃあ、向こうで楽しんでくるよ。」

そんな風に彼は言って友達と二人でいなくなった。


あきらかにそれは、「期待してきたけど、残念だった。そしてそれはあなたのプレイに問題がある」というメッセージだった。 

ぼくはなんだかすごく落ち込んだ。
と同時に、なんだかそういう音色のプログラムにばかり夢中になっていた自分についてすごく考えさせられた。
考えるととてもありがたいメッセージであった。(そう思えたのはしばらくあとになってからだったけど。)

 

もちろん、仕事によっては、いろんな音を出さなくてはいけないこともある。でもそれをどう省略して、少ない音色で「いい」演奏をするか、というのも大事だな、とはっきりそのときに思った。元曲を再現することに夢中になってはいけない。
音色の数について考えるときは、今でもだいたい、そのときのメガネをかけたジャマイカ人の顔が出てくる。

もともと、レゲエは、というか音楽は、「音を出してないところ」で語るものだ、とはよく言われるじゃないか。それが真髄なんだと思う。たくさん出したからいいってもんじゃない。まだまだその域には行けていないが、そうなんだと思う。

頭の悪いぼくはやってみないといろんなことが体に沁みない。自分でほんとに自分は進みの遅い人間だな、とよく思う。そのときも、とことんたくさんの音を出すのにはまってみて(笑)結局そんなことに気づいたのだった。

 

このTriton Leには、そんなプログラムもいろいろ入っている。

今、そういうパッチを弾いてみると、すごく笑ってしまう。はしからはしまで指でなぞると、いろんな音色が出てくる。よくこんなに並べたなと思う。
なんだか昔のアルバムを見ているようだ。

 そして、キーボードの上には、ところせましと、「あんちょこ」つまり試験でのカンニングペーパーみたいな紙が貼られている。本番直前にどうしても不安なことをメモしてはったり、曲順の紙をはったりしてたものが2重3重に重なっている。

そして、いろんなところでもらったステッカー。

 

本当に長い間お疲れ様でした。そしてさようなら。

 

また、今度、あと2人のお亡くなりになった相棒、ノードエレクトロ(初代)、と、Yamaha CS2xさんについても書きたいと思う。