あたりまえの、魔法 1

おはなし。短編。 ※あたりまえの、魔法2(エッセイなど)はこちら→http://junmusic2.hatenadiary.jp

国会議事堂のプール。三谷のお刺身とインド。

 20代の半ばのころのどうでもいい「プール」の話。

 

 ぼくは、その夏、生まれてはじめてプールの監視員のバイトをした。

 

 ぼくは子供のころ、体育全般苦手だったけど、泳ぎがもっとも苦手だった。夏のプールはただただ恐怖だった。

 バタ足で1メートルも行くと立ってしまうタイプだ。水に顔をつけるだけでも鼻に水が入っていやだった。低学年のころ毎朝洗面器に顔をつける訓練をしなさいと言われていやいややった。

 でもプールの深い方はくっきりと水面の色がはっきり違って黒く見えるくらい恐ろしかった。別にほんとうに色が違うわけでもないのに。一度怖くなるとまったくだめなタイプだから、プールだけでなく、さかあがりも跳び箱もマット運動も全部苦手だったが、プールがもっとも怖かった。

 なんと小学6年生にもなって、学校のプールで溺れたことがある。。

 学校のプールはたてが25メートル。横が何メートルだったか忘れたけど、とにかく一番深いところはぼくの背では足がつかなかった。ぼくはすごく小さかった。

 ぼくはその一番深いところを通過するときに恐怖にかられてバタ足が続かなくなり、パニックになった。ほんの1メートル先のプールサイドまで行けないのだ。自分がおぼれている?というのにおどろいた。6年生にもなってまさかプールでおぼれるやつがいるとは誰も思わないから、最初は誰も気づいてくれなかった。

 そのうち、体育の先生が飛び込んで助けてくれた。先生に助けられてプールサイドにあがる瞬間、ぼくはみんなにいつものように(鉄棒で、さかあがりをしようとして怖さのあまりに両手を離してしまってアゴから地面にガツンと落下したときのように)こっぴどく笑われるんじゃないか、、と思ってドキドキした。

 でも実際にプールサイドに上がったときは、特にだれもなんの反応もしなかった。

 もうみんなそんなに子供じゃなかったのか、あまりに悲惨で笑えなかったのか。

 

 ともかく、そんなぼくもどういうわけか、大人になるにつれてある程度は泳げるようになっていたけれど、特に得意ではなかった。だからまさか自分がプールの監視員をやるとは思ってなかった。

 その年の夏、そのころつきあっていた彼女(ぼくはミュージシャンを目指していて、彼女はイラストレーターを目指していた)と一緒にできるバイトはないか、とアルバイト情報誌を見ていたら、いきなり彼女が「プール監視員募集、初心者歓迎」というのを見つけたのだ。初心者でもいいというのにすごく驚いた。

 彼女と一緒にバイトができるというだけでぼくはうきうきしていた。

 

 面接に行ったらおどろいたことにすぐ採用された。おもしろいことに、ぼくらが担当することになったのは、なんと、「国会議事堂」の中にあるプールの監視員のバイトだった。

「国会議事堂」の中にプールがあるんだ、、ぼくの頭の中にはなんだかものすごいきれいなホテルのプールのような光景が浮かんだ。

 

 初日に、国会議事堂に行った。

 想像したのと違い、小学校のときのプールと同じようなプールだった。田舎の小学校に来たのかと思うような景色。やはりたてが25メートル。

 まわりに見えるのは、すごく大きいけどひと時代前のビル?という感じの建物がひとつだけ(あれは議員宿舎か何かだったのか、もう忘れた。国会議事堂自体は、プールからはまったく見えなかった)。

 ぱっと見たとき、なんでだか「社会主義の国ってこんな感じかな?」と思った。東京のど真ん中にいるとはまったく思えなかった。

 

 一年放置されたプールの水はすごく濃い緑色になっていて、プールサイドにもたくさん苔が生えていた。

 そういえば小学校のとき、夏になると、先生と一緒にプール開きの手伝いをさせられた。ま緑になったプールにぼくが溺れたときに助けてくれたその体育の先生が、(あれはプールの底にある栓を抜きに行くためだったのか理由は忘れてしまったが)さっそうと飛び込んで行く姿を急に思い出した。飛び込みの美しい姿勢。ま緑の水(ぼくにはそうとう気持ち悪く見えた)をものともせずとびこんでいくその先生の男らしい感じ。

 ぼくはその先生をいつもかっこいいなぁ、、と思って見てたのだった。

 

 プール開きの日まで、4人でひたすらプールの中とプールサイドをデッキブラシで磨いた。数日後にプール開き。それまでに間に合わせなくてはいけない。

 4人というのは、上司のおじさんが1人、ずっと監視員をしてる大学生が1人、そして彼女とぼく。

 上司のおじさんは二人。大学生も男女二人。交代でどちらかが来ていた。ぼくと彼女は毎日。

 高圧洗浄機というものもはじめて使った。どう見ても落ちないと思われたプールサイドが少しずつ白くなっていく。毎日ここからここまで、と決めて一生懸命磨いた。

 

 そして、プール開き。

 はじまってみて、ぼくがなによりびっくりしたことは、一日の利用者の少なさだった。

 昼休みの1時間の間に、泳ぎが好きな国会議員や秘書のようなひとたちが数名くる以外は、利用者がほとんどいなかった。一日平均10名というくらいの感じだったと思う。たまーに天気がよく気持ちのいい日には、たくさんの人がくることもあったが、雨の日などは一日中誰もこないこともあった。

 

 それで毎日4人分の仕事料が出てるのかと思うと、やっぱり贅沢な場所だなぁ、と思った。

 時間がいくらでもあったから、少しずつ「救助法」の基礎となる泳ぎを教わった。

 最初に教わったのは、おぼれた人を助けるための、「巻き足」というものだ。

 立ったまま両足をくるくるとかきまわすように回して、水中で浮かんでいる訓練だ。

 「巻き足が得意なおばさんは、水中で巻き足しながらお弁当たべたりできるんですよ」と大学生に言われておどろいた。

 

 ひまな日は、ほとんど一日中自分たちが泳いでいることもできた。

 日に日に、泳げる距離がだんだんとのびていった。

 「長距離泳ぐときは、ほとんど寝ながら泳いでるみたいな感じでいいんだよ」と上司のおじさんが教えてくれた。

 たしかに力をぬけばぬくほど楽におよげるのだ。

 まったく前に進もうとか考えなくても少しずつ前に勝手に進んで行く。

 小学校ではこういうことは習わなかったな、と思った。

 泳ぎが得意ではなかった自分が毎日少しずつ水になじんでいった。

 

 上司の1人は、生まれてから会ったなかでもっとも典型的な「江戸っ子」という感じの人だった。

 「浅草?あんなとこ、だいきれーだよ」とよくその人は言った。

 でも飲みに行ったりして、祭りの話になると、とろけるような顔で「祭りはえ〜ぞ〜」といつも言っていた。

 古式泳法の達人で、見た事もないような泳法をいっぱい見せてくれた。なんだか花火みたいな名前がついた泳法があって、きれいだった。

 猟銃を打つのが趣味で、おれは戦争になったら鉄砲で三谷を守るんだ、とよく言っていた。

 一度、「三谷に世界一うまい刺身の店があるからつれてってやる」と言われて連れて行ってもらったお店は、まるで誰かのうち?という感じのところだったが、そこで出て来た刺身は500円で、これでもかというばかりにどっさりいろんな刺身がもられていて、あとにも先にも人生の中で食べた刺身の中で一番うまかった。

 いったいどうやって仕入れてるんだろう?と思った。

 

 たまにそのおじさんの子どもがプールに遊びにきた。

 おじさんは、プールサイドの椅子に足をかっと組んで座りながら、

 「おい、まっつぐ行ってしだり、って行ってみろ」と自分のこどもに何度も言った。

 江戸っ子は、サ行と、タ行もしくはハ行が入れ替わるという話は聞いていたが、そのおじさんがそれを子供にふざけてしょっちゅう教育してるのがおもしろかった。

 男の子は元気なでかい声で「まっつぐいってシダリ!!」と叫んでいた。

 おじさんは得意そうにいつもニコニコしていた。

 

 もうひとりの上司はなんだかおっとりした感じのおじさんだったが、ある雨の日にその人にインドの話をされた。

 プールサイドの小さい小屋のようなところに、3人で(その日は、大学生はおやすみだった)並んで座っていた。ぼくと彼女とおじさん。

 ぼくは、小さいラジカセで自分のつくったベスト曲集のカセットをいつもかけていたのをおぼえている。キャロルキングとかプリンスとかなんだかそのころ好きだったものがランダムにいろいろかかっていた。

 プールサイドにふりそそぐ雨を3人で横にならんでじっとみつめていると、そのおじさんが、急に

 「インドに行ったことある?」と言った。

 ふだんもの静かな感じのそのおじさんが急にそんなことを言うのでぼくはちょっとおどろいた。

 「ないです。」というと、

 「君は行ってみたらいいと思うよ」

 と言われた。

 ??

 「人生観が変わるよ」

 「そうなんですか?」

 プールの向こうに見えるかなり古い感じのコンクリートの建物と、プールに落ちる雨をなんとなく見つめながら、インドのことを考えた。

 「気づくと足下に死んでる子供がいて、ふんづけちゃいそうになったりするんだよ。」

 とその人は言った。

 それ以上は特に何も言わなかった。

 

 大学生の監視員二人の男女にも、ぼくと彼女はすごく好感をもっていた。

 身の回りにまったくいないタイプだったのだ。

 びっくりするくらい肌を露出する競泳用の水着をいつもピタっと身につけ、二人ともものすごくスタイルがよかった。さわやかで明るく、同時にいつも自然体だった。

 ぼくも彼女も背が低いほうだったが、二人は背が高くすらっとしていていて、美男美女だった。なんだかドラマに出てきそう、、と思った。

 どう考えてもすごくモテるだろうなぁ、、、などとぼくはすぐうらやましく思っていたが、本人たちはまったくそんな感じの意識もないようだった。

 「ほんとうにさわやかだよね、、」と彼女とよく話した。

 

 変な話だけど、「毎日日常的に水の中にいる」、っていうこと、をいままで自分はまったく知らなかったのだな、と思った。

 それは人をどこかでやっぱり変えるのだなぁ、と思った。

 水、かぁ、、

 と思った。

 

 ぼくも彼女も日に日に体が丈夫になっていった。

 バスに乗るときとかに、少しぐらい揺れても、ぜんぜんらくちんになっていってるのが自分でもわかった。

 

 特に、彼女はそれまで小さいころに自転車に乗ってるときにうしろから車に追突されてひざをケガしたことがあって、疲れてくるといつもひざを痛がっていた。痛くなってきたときの彼女の悲しい顔はぼくにとって日常のひとこまみたいになってた。ひざの「お皿」の骨が変な具合にくっついてしまってもう一生直らないのだ。

 でも、ある日彼女が「最近ぜんぜんいたくないんだよ!!」とすごく嬉しそうに言った。「巻き足がすごくいいみたいなんだ」。

 なんだかすごいまぶしいような笑顔でそう言っていた。

 

 

 夏。全部で2週間くらいのことだったんだろうか。なんだか思い出すと夢の中のできごとみたいだ。のどかな国会議事堂のプール。

 

 最後に仕事が終わる日に、全員でビヤガーデンに行った。

 江戸っ子のおじさんは始終ニコニコしてたけど、ほんとにその瞬間だけすごく真面目な顔で、

 「正直、おまえを見てるとさ、おまえがほんとに思いっきりなにをやりたいか、まったくわからねぇんだな。」

 と僕に言った。そして、

 「やりたいことをさ、もっと思いっきりやったらいいんじゃねーかな、って思っちまうんだけどなぁ、、」

 とビール片手に、ちょっと困ったような顔をした。

 インドの話をしてくれたおじさんはだまってにこにこしていた。

 なんだかそれをよく思い出す。